俳優、ポール・ニューマン氏が26日、ガンのため逝ってしまいました。83歳でした。
洋画を見始めてごく初期にファンになった俳優の1人でした。
最初に見たのはTVの洋画劇場で放送した「ハスラー」ではなかったかと思います。
子供のころ児童劇団に入団し、 第二次大戦中は海軍に入隊。 除隊後、 大学を経て俳優養成所で演技を学び1953年にブロードウェイでデビュー。注目を得たのは56年の映画「傷だらけの栄光」でした。
反抗精神と隠した愛情にあふれ、 男らしく知性的。 そんな複雑な感情と陰影を表現できる、アメリカン・ニューシネマの貴重な演技派だったと思います。
無邪気さの内でふと見せる、 どこか悲しげな目が印象的でした。
実業家でもあり、その利益2億ドル以上を、子供たちのために寄付していた慈善家でもありました。
86年の「ハスラー2」で、ようやく遅すぎるアカデミー主演男優賞を獲得した背景には、もしかしたらそんな事も関係しているのかも知れませんね。
熱心なカーレース活動でも有名でした。CARTでは「ニューマン・ハース・レーシング」を率い、数度のシリーズチャンピオンを獲得。自身もドライバーとして79年のル・マン24時間レースでは2位、95年には史上最年長の70歳でGTSクラス優勝も果たしました。
訃報に際し全米のレースファンが、サーキットで83歳のアメリカン・ヒーローの冥福を祈りました。
昨年の5月には記憶の衰えなどから「納得する演技が困難になった」と、俳優引退を宣言。闘病を続けていた今年8月には、自らの希望で病院から自宅へ移り、家族と過ごしていたようです。
こんな言葉を語った人がいました。「演技は彼の作品だった。レースは彼の情熱だった。家族と友人は彼の愛だった。そして彼の心と魂は、すべての人にとって世界がよりよい場所になるように捧げられていた。」
1956年「傷だらけの栄光」、58年「熱いトタン屋根の猫」、60年「栄光への脱出」、61年「ハスラー」、67年「暴力脱獄」、74年「タワーリング・インフェルノ」、81年「ブロンクス」、82年「評決」、86年「ハスラー2」。
そして69年の「明日に向かって撃て!」と73年の「スティング」。いつまでも語り継がれる傑作と思います。
何だか意を決して、持っているDVDの「明日に向かって撃て!」を見ました。